1945年(昭和20年)2月14日に、近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上した。 近衛は共産化の危険を訴え早期講和を主張したが天皇は、「もう一度戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う」…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。